鉛の弾に蝶の翅

音楽好きによる雑記ブログ

【思考の整理】人間は好きだけど人間関係がめんどくさい

常々感じているしんどさとか生きづらさみたいなモノの原因のひとつとしてずっと考えてたことについて、ちょっと書いてみた。

考えをまとめるためにバーッと書いたので着地点が見えない文章になったけど、自分のために書いたものなのでよしとしよう。

それにしたって久々の更新がこんな辛気臭い記事でいいのだろうか。まあいいや。

あと一人称が「私」になっていることに特別な意味はありません。いろいろな語り口を試してみたいだけです。

以下本文

 

 

 

孤独を愛するタイプとか、人付き合いがあまり好きじゃないタイプの人達の中には「人間嫌い」を堂々と自称する人がいる。

私も人付き合いがあまり得意ではないのでなんとなく同調しそうになるが、「人間嫌い」を自称する精神性にはあまり共感できない。「人間が嫌いだ」とはっきり言ってしまうのはなんか違うと思う。無根拠に自分を「好きか嫌いか判定する側」もしくは「選ぶ側」に位置付けてしまっている感じがして、それを傲慢だと思うからかもしれない。

 


私は、一人でいると楽だなと思うことは結構ある。

でも人間嫌いかというとそうでもなくむしろ人間は好きだ。好きだと思う理由はごく単純で、人から親切にされて、自分も誰かに親切にしたいと思ったり、数少ない気の合う友人と遊んで生きる活力を得たりすることがあるからだ。

人からもらったポジティブなエネルギーによって自分が支えられていることを実感する機会が、これまでの人生の中で少なからずあって、だから私は「人間が嫌い」だとはどうしても言えない(言いたくなることは時々あるが)。

たぶん心のどこかで人間はそんなに捨てたモンじゃないと思っているのだろう。

 


ただ、それと同時に、というか並行して、「人間関係」がすごく面倒だと思うことがあって、問題はそっちの方なのかもしれないと考えた。

人との距離感とか、あるコミュニティにおける立ち位置とか、そういう、なんというか「関係性」みたいなことに神経をすり減らしたり、違和感を覚えたり、煩わしくなったりする事が結構あって、それが本当に難しい問題として私の中でこんがらがっている。

問題の原因は多分私自身にある。決して他人のせいではない。と思う。

私は多分、普通の人(なに基準で普通なのかよく分からないけど)よりもいわゆる「パーソナルスペース」が広いんだと思う。いや、パーソナルスペースというか、もっと抽象的に「物理的な意味でも心理的な意味でもここからはそう簡単には踏み込まれたくないですよ領域」みたいなものが結構大きめにとってあって、他人がそこを踏み越えてくると「あーもう!」という潜在意識が働いてしまうのだ。例え向こうに悪意がなくても、である。

というか、悪意がないからなおさら面倒なのだ。相手はなにも悪くないのに、こちら側がこちら側の都合で勝手に一線を引いてしまって、勝手に煩わしさを感じているわけだから、それは向こう側からしたら「拒絶」以外のなんでもないだろう。それでもし相手に「なんかこのヒト壁作ってるなぁ」という印象を抱かせてしまったとしても、それはもうハイその通りですスイマセン、と萎縮するほかない。

相手に対して「私はパーソナルスペースが広いんですよ」と説明するのもなんだか予防線を張るようで言い訳じみているし、「人間嫌い」を自称することと本質的には同じなような気がするので、それはナシだ。

 


私はいつも「ほどほどでいいんだけどな」と思ってしまう。密になりすぎるでもなく、かといって疎遠でもない、そういう関係性、そういう距離感。人付き合いに関しては「ほどほど」がいちばん心地良い。

でも、それって結構難しい。

「領域」とか「距離感」とかについての認識が自分と似通っている人がもし身近にいたら、割とすんなり「ほどほどの関係性」を築けるかもしれない。でも実際には、そういった認識を共有できる人はほとんどいないわけで、というかそもそも「ほどほどでいい」という希望そのものが虫の良すぎる話のような気もするし、やっぱり難しい。

 


だから結局、「我慢して窮屈なコミュニティに身を置き、煩わしいと思いながら密な距離感を受け入れる」か、「全ての関係性を断ち切って、シャットアウトして孤独になる」かの極端な二択になってしまう。100か0かでしか考えられなくなるのだ。

もう少し自分の思考や認識を変えられれば、マシになるかもしれないのだが、どうすればいいかは全然わかりません。

結論の出ないグダグダ文章でした。

まあでもボンヤリした考えを言語化してまとめられたのでよかった。