鉛の弾に蝶の翅

洗濯物干したときに限って雨が降る。

吉野家の秩序

空いている時間に独りでいく吉野家はなぜあんなにも居心地がいいのか。

店に入ると他に数人いる客もみんな単独のおっさんで、U字テーブル、2席ずつくらいあけて等間隔に座り、黙々とメシを食べている。

僕もU字テーブルのちょうどよさそうな位置に居場所をみつけて座る。そして運ばれてきたメシをただ食う。

そういうとき店内に流れる空気が僕はすごく好きだ。

おっさんも僕も、ひとりでご飯を食べにきただけだから、もちろん会話なんてしないし、お互いにU字テーブルの向かい側の人間に興味なんか無い。そんな静かな店内。

しかしなんとなく、本当になんとなく、もしかしたら僕が感じているだけでおっさん達は全くそんなことはないのかもしれないが、無言で牛丼をかきこむ孤独な人間としての同族意識、もしくは連帯感みたいなものが、うっすらとその場には流れているような気がするのだ。でもそれを確認する術はない。会話をしてしまったら僕らはひとりメシを食べにきた人ではなくなってしまうからだ。

とにかく無言で食べて、ときどき心の中で(ああ、今日も疲れたなあ、向かいの席のおっちゃんも疲れてそうだな、まあどうでもいいけど)とか思ってるくらいがちょうどいいのだ。それが吉野家の秩序なのだ。

と、こんな風に僕が書いているような事は、とっくの昔に中島みゆきが歌にしている。そう、「狼になりたい」である。

僕は中島みゆきの曲の中でこの「狼になりたい」が圧倒的にナンバーワンで好きだ。「糸」や「時代」にはない不思議な切なさがこの曲にはある。その切なさの正体は多分、中島みゆきが詩に描いた、彼女なりの吉野家の秩序なのだ(そういえば吉野家コピペってのもあった。あれを書いた人の気持ちも、僕はなんとなくわかる気がする)。

ただし、吉野家の秩序は脆い。複数人の女性グループや、男女のカップル、家族連れや外国人観光客、そんな健康的な人達が店に入ってくれば一瞬で秩序は崩れ去る。お前ら吉野家に来るな、なんて僕の立場からはとてもじゃないけど言えないし、そもそも別に女性グループやカップルに来てほしくないなんて、本気で思っているわけじゃない。ただやはり、独りで飯食ってるところにグループの人達がやってきて、横でワイワイやりだすとこちらとしては萎縮してしまうというのが正直なところで、ここまで書いてもう着地点が見えないのでそろそろ終わりたい、要するに吉野家は空いてる時間に行くのがよいですね。

 

そういえば、シャングリラでナードマグネットみてから明日で1ヶ月になる。なんとなくキリがいいし、ライブに行った記録はやっぱり残しておきたいので、明日、アメフトとナードのライブレポを頑張って書きたいと思う。

まあ結局更新しないかもしれないけど。