鉛の弾に蝶の翅

音楽好きによる雑記ブログ

飲み会が大嫌い、でもいつも酔っぱらう

「そろそろブログ書こうかな、なんだかんだで前の記事からひと月たってしまったな」と思っていた矢先に

「そろそろ次の記事書きませんか」というメールをはてなから頂戴して「あーもう今やろうと思ったのに」ってなってすこしブログ書く気が失せた。

でもやっぱ書きたいことあるし書く。

 

昨日飲み会に行った。行きたくなかったけど行った。

酔っぱらってゲボ吐きました、飲み会参加費は7000円でした、僕は昨日7000円払ってゲボをはくという貴重な体験をしに行ったのです。

 

ちなみにかなり久々の嘔吐体験だった。最後に吐いたのが小学生のころ、温泉で湯あたりしたときだから、もうほんとに13年とか14年ぶりくらいだ。

その湯あたりリバースがかなり辛かった覚えがあって、僕にとってちょっぴりトラウマっぽい感じになっていたので、僕は嘔吐というものに過剰な恐怖心を抱いてしまって、それで10年以上吐いてこなかったというわけなのであるが、

昨日の自暴自棄的アルコール摂取によって、その封印(?)が解かれて、久しぶりにオエッとなってしまったのだ(もちろん他人に迷惑がかからないようトイレで出した)。

それはもう辛かった。やはり僕はゲボは吐きたくない。

ていうかここまで書いといてアレなんだが別に僕は嘔吐の話を書きたいわけじゃない。タイトルにもあるとおり飲み会が嫌だなぁっていうことを言いたいわけだ。

そりゃ嘔吐はつらいよ。でも辛いのはもっといろいろひっくるめた「飲み会」というイベントそのものであって、嘔吐のつらさって言うのは「飲み会」という巨大なネガティヴパワーを構成する一要素にすぎんのだよ。

飲み会の主な辛さっていうのは、やっぱなんかこう「押しつぶされそうになる」んですよね。

 

突然なんだけどそもそも実生活を過ごすうえで、人間って複数のコミュニティに身を置きながら生きていくじゃないですか。それは例えば「家族」もそうだし、「会社」とか「趣味仲間の集まり」とか、まあなんでもいいけどそういうの。

で、僕の場合、僕が属してるコミュニティのなかで「定期的に飲み会に行くコミュニティ」っていうのはひとつだけで、まあ便宜上そのコミュニティを「サークル」と呼ぶことにしよう。

僕はこのサークルが嫌いだ。サークルにいると、社交辞令や馴れ合いに対する嫌悪感とか、疎外感とか、孤独感とか、虚無感とか、単純にキライな奴と会わなきゃいけないめんどくささとか、そういったものが全部束になって僕を追い立ててくる。

いやもちろんサークルにも良い面はある。サークルにいて楽しいなって思う瞬間もそりゃある。

でも最近はもう嫌な気持ちが完全に勝ってしまってダメなのだ。

 

飲み会は、人と人との距離が極端に近くなる。楽しい場でなければならないという空気感が、居酒屋の中に充満する。

そんな飲み会の空気は、サークルにいるとき感じるネガティヴな気持ちを増幅させる力をもつ。僕はそのネガティヴを一時的に麻痺させるために、酔っぱらおうとする。そしてどんどん酒を飲む。

酔っぱらってしまえば笑顔を保つのが楽になる。社交辞令も言える。イヤな奴のイヤな絡みにも対応できるし、疎外感にも鈍感になる。

飲み会が終わった後、帰ってからヘコむのはもはや当たり前だが、酩酊状態ならば帰宅後ソッコーで眠れる。後の精神的ダメージが少ないのだ。だから気持ち悪くなったりするリスク(肉体的ダメージ)と天秤にかけても酔っぱらった方が楽なのだ。余計なことを考えなくて済むのだ。

 昨日の僕のように飲み過ぎで吐くのは最悪のパターンで、肉体的にも精神的にもダメージがデカいから、限度はあるが。

 

ちなみに僕はとてもお酒に弱い。

僕以外の家族はみんなお酒に強いのだがなぜか僕だけ弱い。すぐに酔っぱらえる体質は僕にとっては都合がいいのだが、気を付けないと痛い目を見やすい。

そして、痛い目を見なくたってわかっていることだが、

「嫌な飲み会で余計な事を考えたくないから(アルコールに弱いのに)どんどん酒をのんで酔っ払ってしまう」

というのはかなり不健康なことだ。ましてやそれで飲みすぎて吐くなんて、バカバカしいにも程がある。でも昨日の僕はそうなってしまった。

最近の僕は余裕がないな、と自分でも思う。反省すべき点はいろいろある。

変な締め方になってしまうけど、サークルでの自分の振る舞い方や人との距離の取り方、適度な力の抜き方、そろそろちゃんと考えていきたい。

 

 あ、そういえば6月にAmerican Footballの大阪公演に行ってきます。

普段の生活のクソみたいなしがらみを全部忘れてあのアルペジオに癒されたいです。

アー楽しみ